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日本のポンペイ


天明3年(1783年)の浅間の大噴火で埋もれてしまった村、鎌原(かんばら)
やんばダムの建設に伴う発掘調査で、少しづつ噴火当時の姿を現してきています。

と昨夜のニュースでやってました。
群馬と長野の県境に位置し、子供の頃からなじみのある浅間山の大噴火に
前々から興味があって、夕食の支度も中止し見ました。

浅間の大噴火は日本の火山噴火の災害として最大の出来事で
鎌原村は(現在は吾妻村)浅間山の北麓に位置し、観音堂と石段15段だけを残し全て土石流に埋もれてしまいました。

『生死を分けた十五段』
発掘された階段から、老女を背負った若い女性の遺骨が出てきました。
あと数段で助かった命だったんですね(;´Д⊂)

吾妻の地を訪れる度に、その殆んどが車で通過なのですが
この地の下に何人もの人が、妻を夫を子供を両親を庇いながら埋まってしまってるんだぁ~
と思いながら手を合わせていました。

50段あった石段を15段だけ残して現在に至る観音堂。
『天明の生死を別けた十五段』です。
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1回目の発掘調査(昭和54年)で観音堂の付近だけ掘り起こされました。
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559人居た村民の殆んどは土石流と共に生き埋めになり、観音堂に逃げた93人のみ助かったと記録が残っています。

吾妻川に注いだ土石流と火砕流は泥流となり利根川まで流れ込み、果ては東京湾、銚子沖までに至り
死者1400人にも登ったそうです。

浅間山から高崎まで50~60キロ離れていますが、降り注ぐ火山灰が30cm、麓の軽井沢~碓氷峠では2mを越す堆積量で、家屋を潰し生木を全て枯らして不毛の地と化した記録も残っています。
天明の大飢饉も浅間の大噴火が起因です。

浅間の鬼出し園
浅間山噴火によって生まれた、溶岩の芸術で、世界三大奇勝のひとつと言われる。
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ゴツゴツの溶岩石が鬼の様相に見えるから不思議ですね。
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第一回の発掘調査の後出版された本(天明3年浅間大噴火―日本のポンペイ鎌原村発掘)を読み、その後の調査を心待ちにしていました。

今後の発掘調査がスムースに進むと共に、226年前に命を落とされた方のご冥福を祈ります。

現在浅間山は私の住む高崎から西の方角に、全体に雪を被り、今も煙を吐きながら美しい姿を見せてくれています。
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<写真はすべてネットから頂きました>

by choco_choco_hi | 2009-01-10 11:43 | 日記

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